誰にだって、声を大にして語りたい歴史がある、人生の美しさがある。

それを、実感した、一枚のお好み焼き。

2016-02-12 15.00.21 のコピー

 

つい先日、昔お好み焼き屋さんを営まれていたお母さんのお誕生日会でした。
昔からすごく聡明で努力家なお母さん。
その努力の数だけ苦労をされていて、強かさと弱さの間でゆらぎながら、思い通りに動かない身体と痛みと付き合っているように見えました。

「お母さんの味のお好み焼きを作ろう」という主旨のもと、「今日はこのおばちゃんがお母さんの手よ!」とおばちゃん職員をあてがい、お母さんの強かで達者なお口でやいやい指示を出してもらいました。

「生地には山芋いれて…ここに油しいて…もっと広げんさい、もっと。ああ。もう。こうやって。」

名称未設定

指示通りに動けなさ過ぎて、お母さんが!自ら!数十年ぶりに!ヘラを持ちました!!!

麻痺で、食事をするのも辛いって最近は食が細かったお母さんが「お好みならなんぼでも入るね!」と笑った顔が、見たこと無いくらい柔らかかったのです。
病や、痛みや、我慢や、葛藤や、克己心や、あれや、これや、いつも必死に色んな物と戦っているお母さんが、ちょっと開放されたときだったのかなあと思ったり。

みなさんとわたしたちが玄玄で「介護」を介して出会うわけで、色んなしがらみを抱えている方も少なからずです。
老いや障害。ネガティブで悲観的に捉える方も多いかもしれないけれど、その方が今のままでも十分輝けること、その方が歩んできた人生がとても美しいこと、それを感じさせてくれる時間を一緒に作っていくのが、わたしたちの「専門性」で仕事なのかなあと思います。

凄惨で許せないニュースがお茶の間を賑わせ、「介護の仕事」の在り方が疑われている昨今…。
目の前のお母さんの素のままの笑顔に、わたしたちも勇気付けられ、救われました。

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