玄メモ改 Vol.001 「わかっている」ってナニ?

2007年以来、管理者 藤渕安生が現場で書き溜めたメモ。

「玄メモ」を多少修正し、「玄メモ改」としてアップします。

10年以上前のメモもございますが、現在も基本理念は変わらず運営しています。

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玄メモ改 Vol.001 「わかっている」ってナニ?

■「ニンチショウ」「帰宅願望が強い人」。

そんなふうに呼ばれ、通っている人がいる。

■当初のデイサービスでは半日ともたず「ご利用できない」ということが続き、玄玄に依頼があった。

■実際にお会いしてみると、確かに、「帰宅願望が強い人」だった。

■「なにかをしていると落ち着いているが、手持ち無沙汰になると帰宅願望が出る」

ということだったので、それでも帰りたい気持ちになることも多いけど、今では、いろんなことを手伝ってもらっている。

■確かに1日に3~4回は「帰ります」と言い外に出て行った。

確かに1日に3~4時間は歩いていた。

でもそれがいつか、なんかフツーになっていた。

■そのうち「ここはこんなにたくさん女性がいるのに、私以外は全然動かないのよね」

と、私たちの頼りなさを心配してくれるようになった。

■その人の中の時代も、「バリバリ働いていたころ」に戻っているみたいで、

「そのころ暮らしていた場所の方言」が出てきて。

また、ご自宅では、表情が穏やかになったみたいだった。

■そんなある日の昼食後、ふと、その人がこう言った。

■「私はこうやってご飯食べて少ししたら、なんだか落ち着かなくなって”帰る”って言うのよね。そして一旦は外に出るんだけど1時間ぐらい歩いたら、なぜだかまたここに戻ってきて、お茶を飲んでお手伝いをして、そうしているうちにまた落ち着かなくなって”帰る”と言い出すのよね。うふふ」

「え?なになに?それ?」って感じで、少しあっけにとられて僕は聞いていた。

■そして、その日以来、その人は、いわゆる私たちの使う言葉でいうところの「徘徊」をしなくなった。

■関わるたびに、「ニンチショウ」ってなんなのだろうなって思う。

■「どこかで、わかっているのか」

■それは、「わかっている、わかっていない」なんていう、普通の概念さえぶっ飛ばしちゃうものがある感じがした。

■なぜ、あのとき、このコトバが出たのか分からないし、

その後、その人からこういったことを聞くことは二度となかったし。

本人にとっては、この発言なんて、あんまり意味の無いことなのかもしれないし。

■でもなぜ、その日以来「徘徊」しなくなったのか、僕にはまったくわからない。

■ただ、僕たちは、「徘徊」を無くそうとはしていなかった。

付き合えるところまで、その人の眼から見えているものを、その人の世界の中を。見てみたい、のぞいてみたいとは思っていた。

その表現し切ることのできない不安と、たどり着くはずのない立花の駅と、たどり着くはずのない自慢の我が家と、決して再会することのできない愛すべき部下たち。

ご自宅に向かう送迎車を運転しながら、「その角を曲がったとこの駅前でいいわ」、決してそこにたどり着けないもどかしさを、一緒に哀しんでいた。

■「わかっている、わかってない」の概念の向こう側で、

ニンチショウと呼ばれるひとのコトバがあるんだろうなぁ。

あ、コトバじゃないもんな。

その、通じ合えるなにか。

「いつだって、舐めてかかっちゃダメなんだよ」

その人から、そんなふうに言われている気がした。

■「言動の意味」なんて概念、ぶっ飛ばしてる。

■この人と僕たちがともに過ごしてできたこと。

「なんだか、自分はわからないことだらけになったけど、ここにくれば私の仕事があり、おしゃべりするお友達がいて、同じことを繰り返しているけど夕方家に帰れば妹が待っていて、夜もぐっすり眠れるわ。あぁ、毎日忙しくて大変よ」

こんなことなのかなぁと。

いまのこの場所が、この人にとって、自分自身を感じられる場所でありますように。

■「体力的には疲れないけど、精神的に疲れるわ!」

■今日も素敵な笑顔でスタッフの頼りなさを心配してくれている。

■利用者なのに、たくさん助けてもらってごめんなさい。

■今日は6月のいい天気だ。

2007年6月 藤渕 安生

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