50年間閉鎖病棟にいた男が退院し、姉と暮らす。そして、5年経った玄玄、この家での誕生日の話 ー藤渕安生

■50年。半世紀。オリンピックが何回も開催され、パンクが生まれ、ボブ・マーリーが死に、オールドスクール・ヒップホップが出てきて、ミレニアムが過ぎ、スマートフォンが普及し、気づけば世界はデジタル化し、何もかもが変わった。でも、変わらないこともある。たとえば、50年間ずっと閉鎖病棟にいたおじいさん。ある日、姉が彼を引き取ると言い出した。それが5年前、僕たちとの最初の出会いだった。
■そして今年も開催する彼の誕生日会。彼は、「姉に恩返しがしたい」「背中を流したい」。そう言ったらしい。でも「感謝はしていない」。このセリフは、なかなかのパンチラインだ。フリースタイルでEl-Pがラップしそうだし、都築響一が『夜露死苦現代詩』みたいなタイトルでまとめそうでもある。いや、違う。これはもっとリアルな話で、誰の物語でもない、このおじいさんの50年間の物語なのだ。
■誕生日の席で、彼は言った。「手紙を書きたい」。いや、正確には「手紙、かく」みたいな感じだった。言葉は不明瞭だった。長い間、閉鎖病棟で言葉を交わす機会が少なかったのだろう。誕生会を企画した2年目の看護師は、「一年前も、誕生日会だった。そのときは発語が聞き取りにくくかったが、すっかり言うことがわかるようになった。一緒に過ごす時間の重みを感じた」と言った。

私は、ここでレヴィ=ストロースの『野生の思考』を思い出す。「文字のない社会」。彼は退院してからのこの5年間、ずっと、延々と、象形文字、宇宙文字のようなものを書き続けている。だが、言葉がなくなることはなかった。今日、また、50年間封じ込められた言葉が、突然、姉への手紙というかたちで解放されたのだ。そして、この看護師は、その言葉を丁寧に便箋に書き留めた。
■玄玄からの帰宅時、私は姉に伝えた。「おじいさんが手紙を書きたいって言ってました。それを看護師が書き留めたんで、ぜひ読んでください。わたしたちが言ったこと、言わせた言葉は一言も入ってないんで」。姉は涙ぐんだように見えた。でも、どうして涙ぐんだのだろう。長い間の、色んな気持ちが複雑にまざったものか。突然の変化に対する驚きか。それとも、50年間の時間が一瞬で埋まった気がしたのか。     いや、たぶん全部だろう。
■「恩返しがしたい。でも感謝はしていない」。この言葉の意味を考えてみる。介護の現場では、こういう言葉に出会うことがある。「ありがとう」と言わない人もいるし、「助けてくれ」と言わない人もいる。でも、それは「思っていない」わけではない。ただ、表現する言葉を持たないだけなのだ。
■ここで、オチをつけるなら、「それでも、背中を流すのはいいことだ」となる。風呂場で、スポンジで、泡立てて。「ありがとう」と言わなくても、湯気の向こうで何かが伝わる。デイサービス、玄玄、ゲンゲン、GENGENとは、そんな場所でもある。ー藤渕安生

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