★先週から突然やってきた人(スタッフ)が、週一日しか来ないにもかかわらず丸一年いるスタッフを抜いた。抜いたってのは関係だとか、そこに居るという存在という意味で。
★なんなんでしょうね。これはこの新しくいる人がすごいのか、それとも丸一年いる人がすごいのか。この新しい人は存在、関係づくりという面で天性のものがあるんだと思います。未経験の人なので。いきなり飛びこめてしまう人がいるのは確かですね。技術とかではなく。逆に、丸一年いてなんの存在も示さず完全に匿名化して居続けるということも、別の意味ですごいのかなと思います。この、「結局誰でもよかった」ということについてはいろんな考え方があると思いますが、僕がここに居て少しずつ確信していることは、毎日、日々顔を合わせていく中で匿名で居続ける条件とは、「困ったときに、逃げる」または、「困っていたら、逃げる」。ある苦しみの中で人と人がいる。そしてその中で完全に匿名化しながら支え続けるなんてことは、現実としてちょっと難しいのではないかと思います。もしそれができているとすれば、苦しみに出会う前に逃げる。そこで同じ風景を見つめながら、自分とは何者かということを消し去ることはできないのではないかと思っています。
★「自分だからなんだ」「自分だったからなんだ」ということは、現実としてありますが、だからと言って行き過ぎた「自分だから」には、気をつけないといけないと思っています。そのあたりの微妙なバランスが難しいです。でも、だからと言って誰でもよかったということでは、何も始まらないのではないかと思いはじめました。誰でもいいということは、誰も居ないということと近い場合もあると思います。誰が来てもいいところには、実は誰も来ないように。
★あと、お年寄りに対する親近感と無礼は違うと思ってます。匿名化する人は、親近感を出すつもりで無礼なことをしがちだなと思いました。自分からしか相手が見えていないとでも思っているかのように。
むかついたらぶち切れてください。笑
遊離しているとこに存在することは難しいですよね~。
同行ケアは簡単にできる。
母性には男としてかなわんけど、風呂はいってる、うんこしとる、めしくっとるとこにさりげなく行くと案外素な人間に出会える気がしました。間違い?
裏考える時点で僕は駄目だ。
そうですね~。
難しいですが、さりげなく他人のトイレやお風呂に行けてしまうということが、難しいです。
行けてしまうんですよね。慣れてるから。
これってどうなんでしょうか。僕は最近、介護のことはよくわからないので、本当に難しいですね。まとまらないんで困ってます。。
親近感と無礼、そうですね。僕はどちらかというと無礼な方かも。
その人の息子や孫になったように無礼をしている自分です。
究極のサービス業と考えると、下手な存在感よりは、利用者にとって
空気のような存在になる事が一番だと思って私は実践しています。
なるべく酸素になろうとは思いますがね。