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おら東京さ行ぐだ

2017年6月2日

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決して銀座に山を買いに行くのではなく、お話をしに行きます。

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希望としての介護セミナー2017⑥【介護はこんなに奥深い】
場所:ダイハツ東京支社(会議室)
時間:10:30〜15:30
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こちらのセミナーにて、1枠時間を頂きました。
玄玄という小規模デイサービスを営んできての、良かったこと辛かったこと悩んだこと嬉しかったこと……介護への希望を見いだせるあんなこと、こんなことが、聞けるのではないかと思います。

藤渕に「何を話す予定なんですか?」と聞くと、いつも「考えてはおるけど、その場にならんとわからんよ」と返ってきます。
その日その場にいる皆さんに顔を合わせてから、自然と湧いてくる『伝えたいこと』や『共有したい思い』をリアルタイムで聞ける時間になるんじゃないかなと、思います。

お近くの皆様、この機会に是非!

 

1000円玉。

2017年5月9日

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休み明け、利用者さんが紙に包んで大事に何やら持ってきてくれて、
「今日は話すけえ1時間取ってよ!」と何やら見せてくれたのが、
東京オリンピック記念硬貨と、天皇御即位50年記念硬貨。

すごいね、はじめてみたね、2020年まで持っとったらまた価値が上がるね、と皆でわあわあわあ。

利用者さんが伝えたかったのは硬貨自体の自慢でもなんでもなくて、
それにまつわる奥様だとか家族さんだとかの思い出だったのだと思うけど、
何分休み明けでテンションが上がりに上がってそのお話は利用者さんの中でもどこか遠くに行ってしまったようなので、
またゆっくりと、深いところを聞いてみたいなあと思います。

あなたが呼んでくれた名前が、あなたにとってのわたし。

2017年1月31日

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皆さんそれぞれから、色んな呼ばれ方をします。
呼ばれる名前ひとつ。
だけど、その方たちとのそれぞれさまざまな関係が見えるようで、ちょっとうれしい。

目の前の人にとって、わたしはなんになれてるんだろうかなあ。
もちろん普通に名前覚えてもらうのもうれしい。笑

わたしでした。

あけました!

2017年1月6日

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あけましておめでとうございます!
お正月気分も少しずつ抜けてきて、玄玄も平常営業中。
どうぞ今年もよろしくお願いします。

新年早々、皆さんで何やら作っております。
皆さんの働き者の手を見ているのが大好きです。

そして、
「点」が「奌」!!
そういう書き方もあったのか、とまたひとつ勉強。

それぞれのおうちのお正月の話を聞くのが楽しくてたまらないわたしでした。

かんごふさん

2016年12月27日

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毛糸あみあみ。
この時期はついつい熱が入りますが、お陰で重度の肩こりになります、わたしです。

先日、すごく久しぶりに10年ほど前の教科書を眺める機会がありました。
日々お年寄りと過ごすのに肩書きや資格なんて意識しませんから改めて自分で言うのも不思議なんですが、わたしは「かんごふさん」です。
ハタチ前後の頃、今現在の生業としている「お年寄りとの関わり」を「看護」の観点で勉強していました。

現場にて、生(なま)の出来事、生の感触にぼちぼちたくさん触れてからその頃の教科書を振り返って見ると、「ああ。そうだったなあ…」という他に、大きな大きな違和感を感じることもたくさんありました。

大きく思うことは、看護ってやっぱり問題解決思考型。
「問題を見つけていく=出来ないことにフォーカスしていく」ことがはじめの一歩。
(学生時代にこの思考は徹底的に刷り込まれます。笑)
これを今の日々に持ち込んでしまったらすっっっごく退屈だなと思います。
当たり前の衰えや機能低下を「できないできない…」って悲観するのはもったいないよなあ。。。

もちろん、現場が違えば必要とする観点は異なってくるとは思うので、教科書に載っているような老人看護学をどうこういうつもりはないのですが、

「こんなことが一緒にできた」
「あんなことでいっぱい笑えた」

ざっくりといえば、そんな自分なりの看護観を持てたらなと思っています。
(共感して下さる方、ただいま職員募集しておりますよ。)

P.S
年末になれば、超急性期病棟に勤めていた頃の友人たちと会う機会が毎年あるのですが、今もバリバリ病棟勤めの友人の「意識ない患者さんしかよう関われんわー!」という言葉が忘れられず震えています。。。
「かんごふさん」ってほんと色々、わたしでした。

神様になったじいちゃん

2016年8月20日

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どうしたって流れていく日々の中、どうしたって避けられないお別れもあります。
「もう会えなくなる」っていう事実は単純に悲しいし寂しい。
けれど、全身使って生ききった方とのお別れって、さめざめした悲観的なものよりも、「美しい」とか「感嘆」だとか、そんな言葉が似合うなあと思います。

「このじいちゃんは、亡くなったらきっと神様になるんだろうなあ」と一緒にいるころから思っていた方がいる。
一緒に過ごしたのは人生のうちのわずかな時間に過ぎないのだけど、生き方や魂や瞳が、透き通っていて美しい人でした。
だからか不思議とアカゴとも相性が良くて、隣で昼寝をしたり、じいちゃんがコーヒーを飲む間杖で遊んだりと、よく一緒にいさせて頂いた。
生まれた時代が違う二人が仲睦まじく穏やかに過ごす時間が、奇跡のようにも当たり前のようにも感じて不思議だった。
昨年末、初めてアカゴに「お別れ」を教えてくれたのもじいちゃんでした。

アカゴが大きくなったら、聞かせたい人の話で玄玄はいっぱい。
そしてじいちゃんは今日も玄玄の神棚にいます。

きれいな眼。

2016年8月12日

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少しずつ何かを失っていくこと。
この仕事だからこそ直面すること。

狭い送迎車の中の長い道中、昨日を生きた記憶が抜け落ちていってうんうんと唸るお父さんを横に、何度となく同じ問いに応える。
ここ最近苦しんで見える彼やご家族にとって、何かできればと思えば思うほど、丁寧に、ひとつずつの声に返事をするくらいしかできないと感じる。

ふいに、助手席に座るお父さんが静かになったのでお顔を見ると、大きな目でわたしをじっと見ていて。
その眼の透明で深くてきれいなこと。
積年のあれやこれやがなくなると、人はこんなにきれいな目ができるのかと、不謹慎なのかもしれないけれど見惚れてしまいました。

同時に、ご家族に会ったときの安心しきった表情や、以前から変わらず飛ばされる冗談や、「そうじゃそうじゃ」と彼の中で何か大事なことを心止めている風に、確かにこれまでのお父さんを感じてとってもホッとする。

これまでと、今と、これからと。
全部、まごうことなきその方自身。
すべてこぼれ落とすことなく受け止めたいなと、長い帰り道を一緒にするたび思うわたしでした。

心に残る絵。

2016年7月22日

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よく皆さんとものづくりをすることは多いのだけれど、少し前に、描いたもので、「これは好きだなあ」という絵。
心に残る絵。

色んな方がやってくる玄玄ですが、いつも思うのは、皆さん表現者だなあということ。

こうやって形として何かを残すことであれ、
どんな形であれ、
どんな状態であれ、
どうやったってなんだって、いつまでもご自身を表現し続けているなあと思います。
その表現に、お付き合いできることがとっても楽しくてとっても光栄。

まさに、生き様と向き合う愛おしい日々です。

ぼやき。

2016年4月26日

ういいい

オバマさんが来るとかで、各所が賑わっている裏での、利用者さんのぼやき。

「平和学習」とか
「未来への教訓」とか
綺麗な言葉では払拭できないような、苛烈過ぎる現実だったんだなあと、その遠くて冷めた目を見て思う。

直球勝負のおめでとう。

2016年4月19日

 

 

 

こんにちは。
アカゴは待機児童問題を乗り越え保育所に通うようになったわたしです。

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とはいうものの、↑のように非常勤として活躍していますので、今後ともよろしくお願いいたします。
この日はご覧通り、お誕生日会要員として出勤して貰いました!
玄玄のお誕生日会といえば、その方が一番輝けるような何かを考えるのが恒例です。
その結果、思ってもみなかった引き出しを開けられたりするので、考える時間もとっても楽しい…。

今回は、核弾頭的に皆さんを笑顔にしてしまうアカゴを通じて「おめでとう」を伝えました。
中には、お年を召して、年を重ねる緩やかな衰えの中で、わかりやすく「何かを遂げて達成感!」に繋がりにくい方々もおられます。
そんな方にも、どんな方にも、喜んで貰える日であって欲しいなあと、アカゴ投入です。

あいにくアカゴはお誕生日会の時間がおねむで多少のぐずぐずでしたが、その他の時間、一日中、主役さんとニコニコイチャイチャしていたのでよしです。